あたらしい憲法のはなし(6)

六 戦争の放棄
 みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。
 ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。
 いまやっと戦争は終わりました。
 二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。
 こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。
 ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
 戦争は人間をほろぼすことです。
 世の中のよいものをこわすことです。
 だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。
 その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。
 これを戦力の放棄といいます。
 「放棄」しは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争までゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争放棄というのです。
 そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。

七 基本的人権
 くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。
 やけただれた土から、もう草が青々とはえています。みんな生きいきとしげっています。
 草でさえも、力強く生きてゆくのです。ましてやみなさんは人間です。生きてゆく力があるはずです。天からさずかったしぜんの力があるのです。この力によって、人間が世の中に生きてゆくことを、だれも妨げてはなりません。
 しかし、人間は、草木とちがって、ただ生きてゆくというだけでなく、人間らしい生活をしてゆかなければなりません。
 この人間らしい生活には、必要なものが二つあります。
 それは「自由」ということと、「平等」ということです。
 人間がこの世に生きてゆくからには、自分のすきな所に住み、自分のすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆけることなとが必要です。
 これらのことが人間の自由であって、この自由は、けっして奪われてはなりません。そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです。
 またわれわれは、人間である以上はみな同じです。
 人間の上に、もっとえらい人間がるはずはなく、人間の下に、もっといやしい人間があるはずわけはありません。
 男が女よりもすぐれ、女が男よりもおとっているということもありません。
 みな同じ人間であるならば、この世に生きてゆくのに、差別を受ける理由はないのです。
 差別のないことを「平等」といいます。そこで憲法は、自由といっしょに、この平等ということをきめているのです。
 国の規則の上で、何かはっきりとできることがみとめられていることを「権利」といいます。
 自由と平等とがはっきりとみとめられ、これを侵されないとするならば、この自由と平等は、みなさんの権利です。
 これを「自由権」というのです。
 しかもこれは人間のいちばん大事な権利です。
 このいちばん大事な人間の権利のことを「基本的人権」といいます。
 あたらしい憲法は、この基本的人権を、侵すことのできない永久に与えられた権利として記しているのです。これを基本的人権を「保障する」というのです。
 しかし、基本的人権は、ここにいった自由権だけではありません。まだほかに二つあります。
 自由権だけで、人間の国の中での生活がすむものではありません。
 たとえばみなさんは、勉強をしてよい国民にならなければなりません。
 国はみなさんに勉強をさせるようにしなければなりません。
 そこでみなさんは、教育を受ける権利を憲法で与えられているのです。この場合はみなさんのほうから、国にたいして、教育をしてもらうことを請求できるのです。これも大事な基本的人権ですが、これを「請求権」というのです。争いごとが起こった時、国の裁判所で、公平にさばいてもらうのも、裁判を請求する権利といって、基本的人権ですが、これも請求権であります。
 それからまた、国民が、国を治めることにいろいろ関係できるのも、大事な基本的人権ですが、これを「参政権」といいます。国会の議員や知事や市町村長などを占拠したり、じぶんがそういうものになったり、国や地方のだいじなことについて投票したりすることは、みな参政権です。
 みなさん、いままで申しました基本的人権は大事なことですから、もういちど復習いたしましょう。
 みなさんは、憲法で基本的人権というりっぱな強い権利を与えられました。
 この権利は三つに分かれます。
 第一は自由権です。第二は請求権です。第三は参政権です。
 こんなりっぱな権利をあたえられましたからには、みなさんは、じぶんでしっかりとこれを守って、失わないようにしてゆかなければなりません。しかしまた、むやみにこれをふりまわして、ほかの人に迷惑をかけてはいけません。ほかの人も、みなさんと同じ権利をもっていることとを、わすれてはなりません。
 国全体の幸福になるよう、この大事な基本的人権を守ってゆく責任があると、憲法に書いてあります。

以上、文部省の「あたらしい憲法のはなし」を掲載してきました。

 新日本婦人の会は、「あたらしい憲法のはなし」復刻本発行にあたって(2004年6月23日)の中で、「あたらしい憲法のはなし」は、憲法が施行されてまもなく、憲法の普及を目的として、新しく義務教育となった中学校の一年生むけ社会科教科書として文部省がはっこうしたものです。政府が国民に対してあきらかにした、公式の憲法解説書といえます。「天皇陛下」等の記述内容や、国の統治機構に関する説明が多く、人権条項の説明が少ないなど、時代の制約も見られますが、憲法制定当時の国民の疑問や関心にこたえて、憲法をわかりやすく説いています。学校だけでなく、社会教育として公民館などで開かれた憲法講座でテキストとして。使われたといいます。しかし、1950年の朝鮮戦争勃発、その翌年サンフランシスコでの講和条約調印など日本がアメリカ寄りの進路をとるなかで、わずか二、三年しか使用されなかった゛受難゛の教科書です。と記しています。
 「あたらしい憲法のはなし」は、「七 基本的人権」のほか、八国会・九政党・十内閣・十一司法・十二財政・十三地方自治・十四改正・十五最高法規と目次が続きますが、ここまでの掲載とさせていただきます。

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あたらしい憲法のはなし(5 )

三 国際平和主義
 国の中で、国民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、国民の意見は、人によってずいぶんちがっています。しかし、おおぜいのほうの意見にすなおにしたがってゆき、またそのおおぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく国の仕事をやってゆくのでなければ、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。
 これは、一つの国について申しましたが、国と国との間のことも同じことです。
 じぶんの国のことばかり考え、じぶんの国のためばかり考えて、ほかの国の立場を考えないでは、世界中の国が、なかよくしていくことはできません。
 世界中の国が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、国際平和主義といいます。
 だから民主主義ということは、この国際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。
 こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの国にたいしても、国際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。
 この国際平和主義をわすれて、じぶんの国のことはかり考えていたので、とうとう戦争をはじめてしまったのです。
 そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この国際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。またこの考えが、あとでのべる戦争の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。

四 主権在民主義
 みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかきめてごらんなさい。
 いったい、「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。
 勉強のよくできることでしょうか。
 それとも力の強いことでしょうか。
 いろいろきめかたがあってむずかしいことです。
 国では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。
 もし国の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。
 もしおおぜいの考えできまるなら、そのおおぜいがみないちばんえらいことになります。
 もし国民ぜんたいの考えできまるならば、国民ぜんたいが、いちばんえらいのです。
 こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、国民ぜんたいの考えで国を治めてゆきます。そうすると、国民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。
 国を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が国民ぜんたいにあれば、これを「主権は国民にある」といいます。
 こんどの憲法は、いま申しましたように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権はとうぜん日本国民にあるわけです。そこで前文の中にも、また憲法の第一条にも、「主権が国民に存する」と、はっきりかいてあるのです。
 主権が国民にあることを「主権在民」といいます。
 あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。
 みなさんは、日本国民のひとりです。主権を持っている日本国民のひとりです。べつべつにもっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義にあわないことになります。みなさんは、主権をもっている日本国民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。よいこどもであるとともに、よい国民でなければなりません。

五 天皇陛下
 こんどの戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして国の仕事をした人々は、国民ぜんたいがえらんだものでなかったので、国民の考えとはなれて、とうとう戦争になったからです。
 そこで、これからさき国を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。
 憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことをきめました。
 みなさんは、この象徴ということを、はっきりと知らなければなりません。日の丸の国旗を見れば、日本の国をおもいだすでしょう。国旗が国の代わりになって、国をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かわかるでしょう。記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまここに何か眼に見えるものがあって、ほかに眼に見えないものの代わりになって、それをあらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。
 こんどの憲法の第一条は、天皇陛下を「日本国の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は日本の国をあらわされるお方ということであります。
 また、憲法第一条は、天皇陛下を「日本国民統合の象徴」てあるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本国民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本国民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それで天皇陛下は、日本国民ぜんたいをあらわされるのです。
 このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本国民全体の考えにあるのです。
 これからさき、国を治めてゆく仕事は、みな国民がじぶんでやってゆかなければなりません。
 天皇陛下はけっして神様ではありません。国民とおなしような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。
 ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、国を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が、天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。
  つづく

次回は、六 戦争の放棄~七 基本的人権 です。
 

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あたらしい憲法のはなし(4)

二 民主主義とは
 こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。
 ところで民主主義とは、いったいどういうことでしょう。
 みなさんはこのことばを、ほうぼうできいたでしょう。
 これがあたらしい憲法の根本になつているものとすれば、みなさんは、はっきりとこれを知っておかなければなりません。
 しかも正しく知っておかなければなにりません。

 みなさんがおおぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。
 だれの意見で物事をきめますか。
 もしもみんなの意見が同じなら、もんだいはありません。
 もし意見が分かれたときは、どうしますか。
 ひとりの意見できめますか。それともおおぜいの意見できめますか。どれがよいでしょう。
 ひとりの意見が、正しくすぐれていて、おおぜいの意見がまちがって、おとっていることもあります。
 しかし、そのはんたいのことがもっと多いでしょう。
 そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなあったあとで、おおぜいの意見で、物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。
 そうして、あとの人は、このおおぜいの人の意見に、すなおにしたがってくのがよいのです。
 このなるべくおおぜいの人の意見で、物事をきめてゆくことが、民主主義のやりかたです。
 国を治めてゆくのもこれと同じです。。わずかの人の意見で国を治めてゆくのは、よくないのです。国民ぜんたいの意見で、国を治めてゆくのがいちばんよいのです。つまり国民ぜんたいが、国を治めてゆく—-これが民主主義の治めかたです。

 しかし国は、みなさんの学級とはちがいます。国民ぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんすることはできません。ひとりひとりの意見を、きいてまわることもできません。そこで、みんなの代わりになって、国の仕事のやりかたをきめるものがなければなりません。それが国会です。
 国民が、国会の議員を選挙するのは、じぶんの代わりになって、国を治めてゆく者をえらぶのです。
 だから国会では、なんでも、国民の代わりである議員のおおぜいの意見で物事をきめます。そいしてほかの議員は、これにしたがいます。これが国民ぜんたいでの意見で物事をきめたことになるのです。これが民主主義です。
 ですから、民主主義とは、国民ぜんたいで、国を治めてゆくことです。みんなの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。だから民主主義で国を治めてゆけば、みなさんは幸福になり、また国もさかえてゆくでしょう。

 国は大きいので、このように国の仕事を国会の議員にまかせてきめてゆきますから、国会は国民の代わりになるものです。この「代わりになる」ということを、「代表」といいます。
 まえに申しましたように、民主主義は、国民ぜんたいで国を治めてゆくことですが、国会が国民ぜんたいを代表して、国のことをきめてゆきますから、これを「代表制民主主義」のやりかたといいます。

 しかしいちばん大事なことは、国会にまかせておかないで、国民が、じぶんで意見をきめることがあります。
 こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえるときは、国会だけできめないで、国民ひとりひとりが、賛成か反対かを投票してきめることになっています。
 このときは、国民が直接に国のことをきめますから、これを「直接民主主義」のやりかたといいます。
 あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、二つのやりかたで国を治めてゆくことにしていますが、代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義のやりかたは、いちばん大事なことにかぎられているのです。
 だからこんどの憲法は、だいたい代表制民主主義のやりかたになっているといつてもよいのです。

 みなさんは日本国民のひとりです。しかしまだこどもです。
 国のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。
 国会の議員をえらぶのも、国のことについて投票するのも、みなさんが二十歳になってはじめてできることです。
 みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方もおおいでしょう。
 みなさんのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、皆さんはどんな気がしましたか。
 いまのうちに、よく勉強して、国を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。 
 もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、国のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。 
 みなさんの考えとはたらきで国が治まってゆくのです。
 みんながなかよく、じぶんで、じぶんの国のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。
 これが民主主義というものです。 つづく 
 
次回のあたらしい憲法のはなしは(5
)~三 国際平和主義です

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九条の会徳島定期総会のご案内~延期していました定期総会を7月11日に開催することとなりました。

昨日の九条の会徳島事務局会議で、次の要領で開くことを決めましたのでご案内します。

九条の会徳島・第15回総会のご案内

 日頃は、当会の活動にご理解とご協力を賜り、ありがとうございます。
当会では、第15回総会の開催を延期しておりましたが、今般、下記の要領にて開催することとしましたので、ご案内申し上げます。ただし、新型コロナウイルス感染症の状況を鑑み、参加対象者は、呼びかけ人、幹事及び事務局員に限定させていただき、そこでの決定をもって総会の決議としますので、悪しからずご了承下さい。また、総会終了後は、九条の会経験交流会を開催する予定ですので、そちらにもご参加下さい。

日時  2020年7月11日(土)午後2時~
場所  とくぎんトモニプラザ 4階会議室2
    住所:徳島市徳島町城内2番地1
※ 徳島県内在住者のみが入館できますので、当日は身分証明書を忘れずにご持参下さい。
議題  ①第14年次活動報告・収支決算
    ②第15年次活動計画・収支予算
    ③その他必要事項
〈連絡先〉 徳島市中洲町1丁目35番地の1
      上地 大三郎
      TEL 088-626-9826
      FAX 088-626-9827

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あたらしい憲法のはなし(3)

これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、国民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本国民がじぶんでつくったもので、日本国民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この国民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい国民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は国民ぜんたいでつくったということになるのです。
みなさんも国民のひとりです。
そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。
みなさんはじぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。
こんどの憲法は、みなさんをふくめた国民全体でつくったものであり、国でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、国民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。
みなさんが、何かゲームのために規則のようなもをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくいでょう。国の規則もそれて同じで、一つ一つの事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何条、第何条というように順々に記します。
こんどの憲法は、第一条から第百三条まであります。
そうしてそのほかに、前書がいちばんはじめにつけてあります。これを「前文」といいます。
この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。
この前文というものは、二つのはたらきをするのです。
その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。
つまり、こんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えとちがったふうに考えてはならないということです。
もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。
それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。
いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「国際平和主義」と「主権在民主義」です。
「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。
主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。
それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。
まず「民主主義」からおはなししましょう。  つづく

去年もらって植えた木に花が咲き始めました。

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