三 国際平和主義
国の中で、国民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、国民の意見は、人によってずいぶんちがっています。しかし、おおぜいのほうの意見にすなおにしたがってゆき、またそのおおぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく国の仕事をやってゆくのでなければ、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。
これは、一つの国について申しましたが、国と国との間のことも同じことです。
じぶんの国のことばかり考え、じぶんの国のためばかり考えて、ほかの国の立場を考えないでは、世界中の国が、なかよくしていくことはできません。
世界中の国が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、国際平和主義といいます。
だから民主主義ということは、この国際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。
こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの国にたいしても、国際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。
この国際平和主義をわすれて、じぶんの国のことはかり考えていたので、とうとう戦争をはじめてしまったのです。
そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この国際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。またこの考えが、あとでのべる戦争の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。
四 主権在民主義
みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかきめてごらんなさい。
いったい、「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。
勉強のよくできることでしょうか。
それとも力の強いことでしょうか。
いろいろきめかたがあってむずかしいことです。
国では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。
もし国の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。
もしおおぜいの考えできまるなら、そのおおぜいがみないちばんえらいことになります。
もし国民ぜんたいの考えできまるならば、国民ぜんたいが、いちばんえらいのです。
こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、国民ぜんたいの考えで国を治めてゆきます。そうすると、国民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。
国を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が国民ぜんたいにあれば、これを「主権は国民にある」といいます。
こんどの憲法は、いま申しましたように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権はとうぜん日本国民にあるわけです。そこで前文の中にも、また憲法の第一条にも、「主権が国民に存する」と、はっきりかいてあるのです。
主権が国民にあることを「主権在民」といいます。
あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。
みなさんは、日本国民のひとりです。主権を持っている日本国民のひとりです。べつべつにもっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義にあわないことになります。みなさんは、主権をもっている日本国民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。よいこどもであるとともに、よい国民でなければなりません。
五 天皇陛下
こんどの戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして国の仕事をした人々は、国民ぜんたいがえらんだものでなかったので、国民の考えとはなれて、とうとう戦争になったからです。
そこで、これからさき国を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。
憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことをきめました。
みなさんは、この象徴ということを、はっきりと知らなければなりません。日の丸の国旗を見れば、日本の国をおもいだすでしょう。国旗が国の代わりになって、国をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かわかるでしょう。記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまここに何か眼に見えるものがあって、ほかに眼に見えないものの代わりになって、それをあらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。
こんどの憲法の第一条は、天皇陛下を「日本国の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は日本の国をあらわされるお方ということであります。
また、憲法第一条は、天皇陛下を「日本国民統合の象徴」てあるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本国民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本国民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それで天皇陛下は、日本国民ぜんたいをあらわされるのです。
このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本国民全体の考えにあるのです。
これからさき、国を治めてゆく仕事は、みな国民がじぶんでやってゆかなければなりません。
天皇陛下はけっして神様ではありません。国民とおなしような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。
ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、国を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が、天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。
つづく
次回は、六 戦争の放棄~七 基本的人権 です。