明日から水彩画の個展です。

 12月9日から14日まで、末広のとよとみ珈琲2Fギャラリーで、みたおさむ初個展を開催します。

 実は今、ばたばたと準備中で、ご来場者にお渡しする「作品一覧集」もこれからです。とりあえず、以下のようなものにしようかと思っています。

 このブログ、まさに楽屋裏状態です。

個展開催に当たって

僕の水彩画を見て「見田さんが絵を描く人とは知らなかった」「前から描いていたの?」とよく質問されました。僕はつい一年前まで徳島労連の議長として労働運動に明け暮れていましたし、およそ文化とは縁の遠い世界(この世界・僕にとってはということでご勘弁下さい)にいる僕が、まず「絵を描く」ということに驚かれたようです。

 2007年3月に左肩鍵盤断裂・手術で3ヶ月の入院生活。その間の退屈しのぎにはじめた水彩画、しかも3年足らずの経験で個展をひらこうなんて、向こう見ずもいいところだと思ったりもしていますが、こんな冒険も素人だからできるのだと腹をくくっての開催です。辛口、甘口、ご批評は承知の上。ご来場の皆様の叱咤激励を励みにしてさらに精進を重ねたいと思います。

 出展する、みたおさむ作品について(順不同)

「剣山・雑木林」剣山の帰り道、この雑木林に出くわしたのです。地面に敷き詰められた「落ち葉」に見せられました。金色に輝く落ち葉でした。

 忘れられていた人形 我が家の2階、娘たちが嫁いで置き去りにされた人形棚。じっと見ているとなにか愛おしくなって描きました。あれも、これも、しながらの僕なので制作期間3ヶ月です。

大歩危峡 絵葉書を作るなら県内の著名な場所を描いてみたらいいのになどといわれたものだから、「やってみるか」と大歩危峡に車を飛ばしていきました。

眉山をどこから見て描いた

「眉山を街から消さないで」をきっかけに、眉山の見える風景をあちこち探しに行きました。そして気がつきました。眉山が映えるのは川があるところだという事にです。

新町橋から眉山 新町橋から見る眉山が見えなくなるかも知れない。眉山を街から消さないでと描きました。

吉野川北岸と眉山 古川橋(吉野川橋)は僕の故郷のような橋です。子どもの頃は古川橋の水門(南岸)で海水浴、はぜ釣り、潮干狩りです。吉野川に水上飛行機が飛んでいた、そんな昔を知る人も少なくなりました。

 紺屋町と眉山 紺屋町はいわずと知れた盛り場の入り口、そこからも眉山はちゃんと見えます。昼と夜の二つの紺屋街です。

城の内高校と眉山 吉野川にぬける新町川樋門から見える眉山もいいですよ。城の内高校がすぐ脇にあるので、「城の内高校と眉山」にしてみましたが。

かちどき橋と眉山 かちどき橋の向こうに見える眉山は、その昔徳島港に入ってくる大阪・徳島を結ぶ貨客船の乗船客を迎えてくれるシンボルのような存在でした。僕が確か高校生のころではなかったでしょうか。

三つ合橋と眉山 三つ合橋は僕の職場だった健康生協のすぐ近くの橋ですが確かに橋で3つの方角に分かれる、考えてみると珍しい橋ですよね。ただ絵からはそれはわかりませんが。

助任川(徳大工学部前)と眉山 徳島大学工学部前の川は大岡川と云うそうです。川向こうの松林は実に見事です。いつかその松林を描こうと思ったりしています。

上吉野町と眉山 吉野川南岸の土手の上から、ちょうど家屋の切れ目があって、程よく眉山が見える場所があるのです。それが僕の住む上吉野町にです。

風佳と僕 風佳は僕の5人目の孫です。去年の6月に生まれて、最初のお正月に描きました。人物を本格的に描いた最初の絵でもあります。

 城山の小道 城山の風景も描きたいところは沢山ありそうです。助任川にそった城山の小道、都会の人なら素敵な散歩道ですが、僕らには自然に恵まれすぎてありふれた道と映っているのかもしれませんが。

徳島中央公園の秋 ちょうど野外彫刻点を開催中で、なぜか池に巨大な蟻さんがいるのです。

城山 僕の好きな風景が自治会館の10階レストランから城山を望む風景です。この風景、いつか大きな作品でもう一度描こうと思います。

アマリリスの庭 僕の家の庭に咲くアマリリス、こめつつじを押しのけて繁殖しています。この花の咲く時期はアマリリスが庭をひとり締めしているかのようです。

とりあえず、16点ほど出してみました。会場の関係で出展数が何点になるか今のところ分かりませんが、できるだけ見ていただこうと思っています。多数のご来場お待ちしています。

では。

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加藤周一が語る、「戦争とは」

 11/21九条の会四国ブロック交流会があり、僕も世話役の一人として参加していたのですが、そこで、加藤周一が語る・「憲法九条から日本と世界を考える。」「戦争は、どのようにしてはじまるのか。」聞き手・小森陽一という小冊子に出会いました。

 わずか55ページですが、哲学者・加藤周一の世相の見方、戦争というものについて、納得させられるものはありませんでした。

 「世相の見方」と僕が表現したのは、お話が大衆的に理解でき、人間の機微にふれて納得させるものが僕に感じられたからで、加藤氏が世相談義をしているわけではありませんので、おことわりしておかなければなりません。

 ここで、ひとつだけ「戦争」について、小冊子から得たものをご紹介したいと思います。

 まず、「戦争」の定義です。加藤氏によれば、戦争には二つの違ったタイプの戦争があるという。何時始まったか、また、相手がわからない戦争、例えば日中戦争もその分類に入るといいます。それから、真珠湾攻撃など奇襲攻撃はしたものの少なくとも宣戦布告して国と国がはじめる戦争があるというのです。僕は、「戦争」というものについて、こんな見方をしたことがなかったので実に新鮮に感じました。

 そして、現代多くの戦争は前者による戦争だというのです。朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争、そしてアフガン戦争。いずれも前者にかかわる「戦争」で、宣戦布告をし国どおしの戦争とはいえない、闘う相手もゲリラとかタリバンとか一般市民がいわば武装した人々で、国家を相手とした戦争ではない。

 確かに、私たちは同じ「戦争」という名で呼んでいるけれど実に様々な戦争の形があるものだということを改めて認識させられました。この話はさらに、戦争は「忍び足」でやってくる。というテーマにつづきます。ここでは、2.26事件や治安維持法などのお話も出てくるのですが、ブログでは又の機会にしたいと思います。

 今日は12月8日、日本がアメリカに真珠湾攻撃・宣戦布告し太平洋戦争に突入した開戦の日です。戦争と平和のあり方を考える日にしたいですね。

 今朝、水曜日は、吉野橋交差点で定例の宣伝日。山田県議との街宣でも、12月8日のお話をさせていただきました。

 では。

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住宅リフォーム助成制度・秋田県の事例ご存知ですか?

 最近しんぶん赤旗に「住宅リフォーム助成」制度に関する報道が再三掲載されています。その記事の中から、「秋田県」の事例が、地域経済の振興策としても住宅リフォーム助成が大きな効果を発揮しているので、僕は、秋田県の事例を街宣で訴えています。

 秋田では、「住宅リフォーム緊急支援事業」を今年3月から実施。内容は、リフォーム工事費の10% (上限20万円)を助成します。対象は、50万円以上の工事と県内に本店を置く建設業者による施工です。

 この制度、10月29日現在で11,679 件の申請があり、県が出す助成金総額は、16億4769万円。工事費は、252億2572万円。補助効果は15.3倍です。なんと世帯利用率は2.95%といいますから、三十四~五件に一軒の割でリフォーム している勘定となります。まさに、リフォームブームですね。

 秋田県の制度の特徴は、県産材使用など条件をつけず一般化したこと。秋田県内25市町村のうち、20市町村が県の制度と併用可能な何らかのリフォーム助成制度を設けていて、県と市町村の制度を併用すると、例えば、八峰町では、25%・限度額50万円まで可能で、この町では、世帯利用率が7.90% に上っているそうです。

 秋田県では、経済波及効果は、500億円を超えるとしています。まさに、家庭のたんす預金が、リフォーム助成制度を呼び水に市場に循環し、地域経済の振興・活性したいい事例です。

 では。

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革新懇・平和と文化の夕べ

 明日、いや今日、市民劇場の例会で「裸の大将」上演されますが、其の気を捉えて、舞台の演出・出演の「米倉斉加年」さんをお招きし「講演」。ジャズと講演のすてきなひと時を過ごすことができました。

 米倉さんの講演で印象に残ったのは、「観客が舞台を作る」「市民劇場のような鑑賞団体があって演劇文化が継承する」ということです。戦前の文化への弾圧を潜り抜けた新劇などの話も新鮮でしたし、小林多喜二をの上演で、「頭を下げて観に来てとはいわない。なぜなら、小林の生き様の上演だから」という点では演劇人の生き様を見せていただいた気がしています。

 講演のアト、革新懇総会があり、僕は引き続き常任世話人に選出されました。とにかく民主・自民の二大政党による大企業優先の政治体制から、国民本位の革新政治の実現に向けてかかせない「統一戦線」の一助を担うのは、革新懇だと思います。

 総会のアト、米倉さんを囲んで、「あん」で懇親会。まあ、こんなひと時もいいじゃないですか。では。

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サッカーシニアに復帰しようかと?

 12/5吉野川南岸グランドで「シニア」リーグの徳島新聞クラブと鴨島クラブの試合がありました。結果は徳島新聞クラブが3対ゼロで負け。僕がキーパーで、3失点の結果です。膝を痛めてキーパーならと現役復帰したのですが、キーパー侮る無かれ、今、階段の上がり降りもママ為らないほど膝を痛めて少し反省しているところです。

 僕のリーフを今作成中ですが、(社)徳島県サッカー協会常務理事・シニア委員長が名前と肩書きを出して「私も応援します。」ということで、僕もハッスルしているところです。

 では。

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