渭北町内会総会後の「懇親会」に参加。

 四電への申し入れから帰って、午後6時から渭北町内会連合会の総会の後の「懇親会」(会費2000円)に森本県議とともに来賓として出席させていただきました。会長挨拶の後、来賓挨拶をさせていただきましたが、ちょうど伊方原発問題で四国電力との交渉に参加していましたので、「伊方原発」の問題などを中心にお話をさせていただきました。これから4年間の議員活動がはじまりますが、これまで地元市議会議員が不在ということもあって、私への期待は大きなものを感じました。まぁ、頑張らなければと決意をあらたにしたところです。では。

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伊方原発の安全対策・緊急時の防災対策を求める申し入れに参加

5月17日、高松市の四国電力本社に、『東日本大震災による福島第一原発事故を踏まえ伊方原発の総点検と安全対策、過酷事故・緊急時の防災対策を求める申し入れ』を全労連四国地区協議会と伊方等原発の危険に反対する愛媛県民連絡会議の2団体(17名)がおこないました。私は、徳島労連顧問で申し入れに参加しました。

「申し入れ」では、(3)で、伊方原発一号機は設計寿命30年を超え運転開始33年、2号機は29年が経過し老朽化していること。3号機は危険なプルサーマルが実施されているが、今後30年間で6割の確立で発生するとされている南海地震また、東海・東南海・南海の「同時発生」や中央構造線などの活断層が原発立地のそばにあり、不安が広がっているとし、9点にわたって申し入れをおこないました。

申し入れと回答・質疑を通じて

老朽原発の停止・廃炉計画の作成をとのもうしいれに対して、四国電力は、「古い新しいにかかわらず対策を講ずる。安定供給のために現在廃炉は考えていない」とのことでした。私は、四電が配布している津波対策の宣伝チラシについて、地震の規模について見直しがおこなわれているのかどうか、また過酷事故に対応した自治体との連携について、徳島県から原発の安全対策に関する協議の場を設けるよう四国電力に要請があったかどうか?を聞きましたが、地震に対する対策強化は570ガルで設定し現状で安全との見解で見直しはされていないということでした。また、徳島県から協議の場を求められているかについては、「そういう要請はない」という返事でした。

参加しての感想ですが、冒頭四国電力の応対者から、安全第一などの話がされましたが、その一方で、東日本の経済活動が停滞すると西日本が頑張らないといけない、そのためにも電力確保が欠かせないという認識を披露し、原発事故の最中の応対で低姿勢な風情は見受けられましたが、安全第一というより安定(供給)第一の姿勢は変わっていないと感じました。将来の脱原発に向けたエネルギー対策には、電力会社任せではダメで、いっそうの世論喚起と政治力の発揮が求められていると思いながら帰途に着きました。

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「健生病院支部」、後援会・ご苦労さん会

 夕食弁当を食べながら、いっせい地方選挙総括とご苦労さん会が開かれました。写真は、味噌汁カップで乾杯のポーズです。

全員で選挙戦の取り組みを振り返りましたが、後援会員への訪問活動で支持を広げた取り組みなど、2中総の云う「つながり」を活かす選挙の取り組みの実践報告が出されたり、日頃結集していない人が選挙で目を見張る活動協力を得ることが出来たことなど、様々な力が5名全員当選の原動力となったことが確認されました。

では。

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やっぱりメルトダウン・福島第一原発一号機

 今朝の朝日・徳島新聞一面は、福島第一原発1号機の燃料溶融(メルトダウン)が津波から5時間半後には始まっており、溶融が始まって10時間後の翌12日の午前6時にはすべての燃料棒を覆う被覆管が融け、燃料そのものの溶融も始まり同6時50分には原子炉圧力容器の底部に達したと東電の解析結果を伝えました。

時間的経過を追って見てみると~

11日14時46分地震発生~15時30分ごろ津波到達(津波で冷却機能停止) ~21時00分 炉心2800度・溶融始まる(津波から5時間後)~翌12日午前6時(すべての被覆管が融ける・津波から約15時間後)~6時50分(燃料の溶融・原子炉圧力容器底部に落下)~海水注入8時20分開始 

これをもっと わかりやすく言うと~

地震が発生してから45分後に(津波)で冷却が出来なくなり、冷却機能を失って5時間後には炉心溶融が始まり、約15時間後には燃料棒が融けて落ちた。(海水注入は、16時間半後の12日午前8時20分)

海水冷却の遅れ~第2の人災~

原子炉を海水で冷却すると、再び原子炉が使用できないことを恐れて、東電が海水注入をただちに実施しなかったことについて、日本共産党吉井英勝衆議院議員~第2の人災と15日のNHK日曜討論で指摘しました。

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第34回「青葉の碑」合葬追悼会に出席

15日(日)午前10時、徳島霊園の「青葉の碑」合葬追悼会が開かれました。まず「青葉の碑」とは?ですが、「青葉の碑」のしおりに記されていますのでご紹介しておきます。

 

 徳島市眉山山麓の徳島霊園に建立された徳島での解放運動の戦士の合葬・顕彰碑(墓)のことです。東京青山墓地には「解放運動無名戦士の墓」があり、平和と民主主義を守る事業や、労働運動、農民運動、婦人・青年運動などに尽力され、志なかばでたおれられた方々が合葬・顕彰されています。(このお墓には、徳島からも桟敷近信、松本昇、阿部五郎、富永守郎、松本満雄、成瀬喜五郎、富士茂子、大栗清美の各氏をはじめ多くの方々がまつられています。)この中央の運動を続ける中で「徳島でも墓をつくろう」との声が出されていました。そして、1978年、日本国民救援会徳島県本部から、墓用地と墓の提供があり、実現の運びとなりました。第一回の合葬追悼会は大栗清美、高橋秀生、室一雄、後藤敏夫、松本進、小倉半平、松永信行、渡辺倍夫の隠しのよびかけでつくられた実行委員会によって同年5月にとりおこなわれました。碑の名前「青葉の碑」は志なかばでたおれようとも解放運動のここざしはいつも青葉のように生命力あふれひきつがれていくという意味でつけられています。碑文は毎日書道運営委員・審査員の経験のある書家荒井天鶴先生の筆になるものです。

以上、「しおり」のとおりご紹介しましたが、第34回の追悼会では、お二人の方が合葬されました。ご冥福をこころからお祈りいたしました。

では。

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