第34回「青葉の碑」合葬追悼会に出席

15日(日)午前10時、徳島霊園の「青葉の碑」合葬追悼会が開かれました。まず「青葉の碑」とは?ですが、「青葉の碑」のしおりに記されていますのでご紹介しておきます。

 

 徳島市眉山山麓の徳島霊園に建立された徳島での解放運動の戦士の合葬・顕彰碑(墓)のことです。東京青山墓地には「解放運動無名戦士の墓」があり、平和と民主主義を守る事業や、労働運動、農民運動、婦人・青年運動などに尽力され、志なかばでたおれられた方々が合葬・顕彰されています。(このお墓には、徳島からも桟敷近信、松本昇、阿部五郎、富永守郎、松本満雄、成瀬喜五郎、富士茂子、大栗清美の各氏をはじめ多くの方々がまつられています。)この中央の運動を続ける中で「徳島でも墓をつくろう」との声が出されていました。そして、1978年、日本国民救援会徳島県本部から、墓用地と墓の提供があり、実現の運びとなりました。第一回の合葬追悼会は大栗清美、高橋秀生、室一雄、後藤敏夫、松本進、小倉半平、松永信行、渡辺倍夫の隠しのよびかけでつくられた実行委員会によって同年5月にとりおこなわれました。碑の名前「青葉の碑」は志なかばでたおれようとも解放運動のここざしはいつも青葉のように生命力あふれひきつがれていくという意味でつけられています。碑文は毎日書道運営委員・審査員の経験のある書家荒井天鶴先生の筆になるものです。

以上、「しおり」のとおりご紹介しましたが、第34回の追悼会では、お二人の方が合葬されました。ご冥福をこころからお祈りいたしました。

では。

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