8月4日午前、国保署名などで何軒かおねがいにあがりましたが、その中のある方から、「徳島城の抜け穴」について、史跡調査を実現させたいとのお話をお聞きしました。
2005年10月11日付け、徳島新聞に、東條浩士氏(徳島文理高教頭・当時)「開園100年・徳島中央公園の思い出」という手記にも「千秋閣の石垣に沿って市民のための防空壕が掘られていて、突然、側溝が地中から現れて人々をびっくりさせた。気の早い若い衆は探検と称しローソクを片手に這うように潜り込んだが、話によると助任川にまで通じているということだった。忍者の抜け道だとか、落城の際の逃げ道とか、面白おかしく噂されたが実際には、千秋閣の池の水を調節した水路ではなかろうかと思われる」などと記述されていると、新聞の切抜きまで頂きました。
お殿様の落城の際の「抜け道」か? また、単なる池の水路か? いずれにしても、人がくぐって通ることが出来る「抜け穴」があるのは事実で、ひょうたん島の城山めぐりにぴったりのミステリーになるのではないでしょうか。
この「抜け穴」について、何かご存知の方は、ぜひご一報下さい。
では。