5月1日付け徳島新聞25面に「定数・報酬削減に支持」の見出しで、「統一地方選を終えて・本社記者座談会 3」が掲載されています。
私が気になったのは、記者の方の次の発言です。
『ただ、実際に議会の低調な議論を聞いていると、単純に数を減らした方がいいと思える。徳島市議会で委員会の議論を聞いても毎回発言せずに終わる議員も目立つ。徳島市議会は以前より定数を減らしてきたとはいえ、現行の定数34はまだ多いと思ってしまう。』
ひとつは、市議会議員の役割である「市政のチェック」と市民の声を市政に反映するという役割について、記者の目から見て、不十分だということ。もうひとつは、数がすくなくなれば、果たして議論は「活発になるだろうか?」という疑問です。そもそも議員定数は、どうあるべきか?という問題はあるとしても、どうせ、なにもしない議員なら「少ないほうがいい」と投げやりに為らないで、考える必要があるのではないでしょうか。何も発言しない、議論が低調の原因は、議員数の数の問題より、議員の資質・勉強の度合いなどによるところが大きいのではないでしょうか。地縁、血縁、利権にかかわりなく、公約と市民の立場で活動する「資質」を備えた議員を選択することこそ最優先の課題だと思います。また、ある新人議員のパンフに、横浜市と徳島市の職員数の比較を出して、徳島市は職員が多いと公務員削減を提唱されていましたが、人口比で単純に比較して、談じることは少し違和感があります。人口がおおいほど、業務量に対し職員数は比較的少なくてすむはずで、その限りでは、効率的に見えることもあります。人口がすくなく、業務量は少なくても、どうしても人を配置すべき部署もあるはずで、一概に人口比だけで効率性を追及するのはどうかとおもいます。ただ、徳島市の行政が効率よく運営されているかどうかは、人口比の単純比較ではなく、現実の仕事ぶりを見て判断したいと思っています。