尖閣諸島や竹島などの領土問題で、日本の外交力の無さが浮き彫りになっていますが、その一方で、日米安保(軍事同盟)が、中国の侵略を抑えてくれている、などと日米安保を評価する論調も見られます。米軍が日本を守ってくれているのだから、基地の負担、思いやり予算もオスプレイも女性暴行事件も~~仕方がないのでしょうか。
しかし、本当に日本の平和は、「安保」が守ってきたのでしょうか。
安保がなければ、日本はアジアの隣国ともっと真剣に友好な関係を築く努力をしたでしょう。日本の侵略戦争に対する反省ももっと真剣なものになっていたはずです。他ならない日本を「外交なし」の小国にしたのは、日米安保という、アメリカの軍事力にすがりついてきたからではないでしょうか。
安保がなければ、日本は自力で国際社会の中で、生き抜く努力をしたはずです。
世界はとっくにアメリカ一国支配(軍事・経済)から脱却しているのに、日本は、戦後のアメリカ占領時代と全く変わらない思考停止状態です。
21世紀の国際社会は、軍事力にものを言わして解決する時代でもなく、ましてや日本が軍事力を背景に、国際社会の中で幅を利かす社会でないことは火を見るより明らかです。
21世紀の国際社会は、平和的外交力こそ、国際社会の中で最も必要な「力」だと思います。そう考えるとき、「日米安保」依存症は、日本の外交力・平和力、日本が国際社会で生き抜く力全体を実は損なっている、最近、つくづくそう思う日々です。
では。