防衛大学校長(五百旗頭 真氏)の日米同盟感を読んで~朝日新聞「政治時評」

 今朝(2/)21の朝日新聞の「政治時評」に、五百旗頭 真氏(防衛大学校長)をゲストとして迎えた対談記事が掲載されています。ホスト(聞き手)からのテーマは「どうすれば日本再生に踏み出せるか」ですが、五百旗頭氏の二つの「認識」についてふれておきましょう。
 五百旗頭氏は日米の安保体制についてこう発言しています。
一つは、「外交・安全保障の基盤は、ここに海がある、島があるといった地政学的な環境に規定されます。政権が変わっても日本がおかれる条件は変わらない。日米基軸を変えるなら、米国の力を借りずにこの島国を守るだけの備えが必要ですが、それには現在の防衛費では到底足りません。」
二つは、「太平洋戦争の死闘を経て、日米とも互いに甘く見てはいけない、大事にしなくてはいけないという認識を持ちました。それほどのコストを払って築いた同盟関係なんです。日米基軸は戦後保守本流の教義となり、首相の座を狙うような自民党の有力者はこの教義をたしなみとし、繁栄を図ってきた」
 五百旗頭氏のこの認識では、自国の莫大な防衛費を負担出来ない以上、アメリカへの日本の基地提供は当然で、日米同盟は永遠のものといえるでしょう。しかし、果たして「莫大な防衛費」が必要だとの認識は妥当なものでしょうか。日本の防衛費は年間約5兆円で、アメリカ・ロシアに次ぐ世界第3位の軍事費をすでにつぎ込んでいるではありませんか。むしろ、この軍事予算をさらに削ることこそ今求められていると思いますが、莫大な軍事費がさらにかかるというのは同盟を正当化するための「方便」でしかありません。
 その上、太平洋戦争での死闘がアメリカが日本を認めた結果となったとの認識や死闘がコストという認識には、こんな考えの人もいるのかとおおいにオドロカされました。五百旗頭氏にとって「戦争による兵士の勇猛果敢な戦い」が今日の日米同盟の基となっているというのですが、ここには、戦前と変らない、戦死を無駄死にではなく何か意味のあるものにしたい、死をいとわない兵士を育成しようとする防衛大学校長の教育観が色濃く出ているようです。
では。

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