23日に車で出発し、26日の0時半に無事帰ってきました。
おコメと野菜およそ350キロをワゴン車に積み込んで、9月23日午前7時板野町を4人で出発。福島駅前に午後9時到着。その日は福島どまりで、よく朝8時福島を出て、飯館村経由で南相馬へ。
飯館村に入ると景色が一変、人の気配がなくなります。田畑はススキ・雑草で覆われ、道路沿いの家は全く人の気配はありません。幹線道路は、数台の車が行き来しています。飯館村を抜け南相馬に入ると少し人がいて、田畑も手が加えられています。
福島駅前から約1時間半かかって、日本共産党ボランティアセンター(南相馬市原町区日の出町189-2)に到着。ワゴンからコメ・たまねぎなどをおろしました。既に京都の支援隊がきており、持参したコメを3キロに小分け作業をしていました。南相馬のボランティアセンターは、四国4県と京都の共産党が支援を受け持ち定期便で支援物資を運んだり、人を派遣し、被災以来救援活動を続けています。
地元ボランテァセンターの方が、放射能のホッとスホットがここだと、放射線量計をもって、センターの屋根のトイ口に、線量計は0.2マイクロシーベルトが一気に2.4マイクロシーベルトへ上昇しました。この方によると6月では8.0マイクロシーベルトを記録したといいます。
物資を下ろして、簡単な昼食を取り、午後「すずめ仮設住宅へ」へ雑貨類の支援物資を届けました。
午前2時となりましたので、ご報告はまた、したいと思います。では。