「行き過ぎ」ですむ問題でしょうか?

今朝の、徳島新聞の3面と朝日の25面に、四国電力・千葉昭社長が記者会見で、06年6月に伊方町で国の主催で開かれた「原発シンポジューム」で、「やらせといわれても弁明できない」と説明し「結果として一部に行き過ぎた行為があった。おわびしたい」と陳謝したとの記事が掲載されています。

 くわしく記事を読むと、千葉社長は「原子力の議論がスムーズにすすんでほしいと思っていたことは否めない」「シンポで議論誘導はしておらず、私は今でもヤラセとは思っていない。だが質問事例集を用意して(社員らに)発言内容を提示しており、ヤラセといわれても仕方ない」と語ったと、(朝日新聞)報道されており、四国電力が取ったヤラセ行為は「行き過ぎ」としているものの、シンポを通じて「安全神話」へ国民世論を故意に誘導した責任について、全く自覚していないようです。

 原発は、いったん制御できなくなれば途方も無い「異質の」被害をもたらすこと。既に膨大な使用済み燃料をかかえ、処理技術・処理施設もなく使用済み燃料(死の灰)はたまり続けていること。原発事故は、たとえ人類の生存にとって千年万年に一度の事故でもあってはならないもので、絶対安全な原発はありえないことを肝に銘じて、原発ゼロをめざしたいと思います。  では。

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