追跡・東京電力広告費116億円。

6月29日付けしんぶん赤旗の一面に、「追跡・原発利益共同体」シリーズが掲載されています。この日は、「東電広告費」問題です。

この日の新聞各社は東電の株主総会の模様を一斉報道しています。赤旗も同様ですが、そのなかで、赤旗が「追跡」として取り上げているのが他紙と違うところです。

しんぶん赤旗は、東電株主総会で西沢俊夫新社長が株主総会で広告宣伝費は2010年実績で約116億円と答えたと報道。ところが、東電の財務状況を示す有価証券報告書には「広告宣伝費」の項目はなく、東電の広告宣伝費は「普及開発関係費」に含まれており、原子力の商業利用がはじまる一年前の1965年度から東電の「普及開発費」の推移を調べると、1965年どの7億5千万円から2009年度の243億円へと45年間で30倍以上もの急膨張だと指摘。

面白いのは、普及開発関係費は、70年代後半、80年代後半、2000年台前半に急増しているこれは、原発事故のためにPR費を膨張させてきたことを主な原発事故と普及開発関係費を折れ線グラフの図表で示してくれています。

また、電力業界上げて、メディア対策を強化したこともすっぱ抜き、電力10社で構成する電気事業連合会で1971年から1982年にかけて広報部長を務めた鈴木建氏の回顧録「電気産業の新しい挑戦」の中で赤裸々に語られていると指摘。新聞工作は「朝日から始まった」と指摘し、1974年当時の朝日新聞が石油ショックで広告が減少し、意見広告を多く受けようとの議論の中で、原発推進の意見広告も受け入れることとなっり、このときの広告仕切りやが電事連の鈴木で、鈴木氏は「朝日は読者がインテリ層であるから硬くはなるが、第三者によるPRということで学者や専門の研究所員を動員した」などと振りかえっていること。朝日新聞への10段広告はその後2年間にわたって毎月欠かさず掲載され、1976年以降も数ヶ月に一回程度は掲載された。そして、この広告が思わぬ効果をもたらし、読売新聞が「原子力は、私どもの社長正力松太郎が導入したものである。それをライバル紙の朝日にPR広告をやられたのでは私どもの面目がたたない」と読売への出稿を求め掲載されるようになり、朝日・読売に定期的に原子力発電のPR広告が掲載されるようになると、次は、毎日からも要請が来ました。ところが、当時の毎日は、原発に反対するキャンペーン記事や「政治を暮らしへ」というシリーズを掲載していたことから、鈴木氏は、毎日新聞の広報部に「御社のエネルギー問題への取り組み方針はどうなっているのですか。反対が天下のためになると思うなら、反対に徹すればいいではないですか」「消費者運動を煽って企業をつぶすような紙面づくりをやっていたのでは、広告だってだんだん出なくなりますよ」などと迫りました。その結果、毎日新聞は編集幹部も含めて、原子力発電の記事を慎重に扱うと約束し、「政治を暮らしへ」シリーズも紙面から消えました。鈴木氏は、「毎年、原子力の日に、政府の原子力広報が全国の地方新聞に掲載できるようになったのも、朝日へのPR広告の掲載が未知を開いたものだと思っている。」と語りますと鈴木氏の回顧録から、「原発マネー」が新聞を総なめにしたと締めくくっています。

原発と新聞PR広告の実態、この記事は、しんぶん赤旗ならではでないでしょうか。

いま、しんぶん赤旗が面白いですよ。

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