25日午後9時、徳島阿波踊り空港に帰着。産業交通委員会の行政視察を終えて帰ってきました。
24日新幹線で東京から仙台に向かったのですが、途中、郡山あたりから屋根に青いビニールシートがかかった木造家屋が点々と見られます。仙台には午後3時半に到着。ホテルに荷物を置いて、夕食まで各自自由行動ということで、私は、仙台市青葉区にある日本共産党宮城県委員会をたずねました。幸いホテルからタクシーで10分程度のところで、中島康博委員長に応対していただきました。私が訪れた理由は、「ソニー」とたたかう150人の期間労働者の闘いエールを送りたいということでしたが、中島委員長から闘いの経過や現状をお聞きしカンパを手渡していただくようお願いしました。
その足で、仙台駅東口の大通りで開催されている「仙台すずめ踊り」を見学へ。通りを200メートルにわたって交通止めし、お囃子20名前後、踊り子10~20人が一組で、阿波踊りのように「流す」のではなく、その場で10分~15分踊りを繰り広げるというスタイルです。阿波踊りで言うと「輪おどり」というところでしょうか。僕にとっては、規模も質もやっぱり阿波踊りだなぁと思いツツ一通り見て回りました。
翌25日、仙台市役所を訪問。観光訪問課の領岸課長から、「仙台青葉まつり」「仙台七夕まつり」「SENDAI光のページェント」など仙台市の各種まつり・イベントの概要について説明を受けました。また、震災後東北6県のまつりが一堂に集う「東北六魂祭」など、震災復興のための取りくみについても六県の立場や意見の違いを乗り越えてきたことなどもお聞きし、私からは、まつり・イベントでの入りこみ数の把握の仕方、また、宿泊者数の増加についてなどお聞きしました。
昼前、仙台市役所を後にし、仙台市若林区荒浜へ。津波で根こそぎ住居が流された「現場」を訪問しました。200メートル幅もあった松林がまばらに残り、住居は「土台」が残るばかり、一軒の形がある家が痛々しい限りでした。なぜかすぐ脇にお地蔵さんが座っていて、流されてきたものか、ここにもともとあったものか?
津波のガレキは、海岸から数キロの内陸に渡って積み上げられていて、塩害も広範囲にわたっています。
震災・津波の現場を見ることも、視察の目的の一つとなっていて、仙台市から資料を頂くことができました。
では。