原発事故は「人災」です。「人災」認識が補償とエネルギー政策転換の出発点です。

選挙中はブログの更新をひかえいましたので、書けませんでしたがいくつか、気になる「原発事故」に対する見解や意見について、述べておきたいと思います。

ひとつは、徳島新聞の読者欄に「500年?に一度の災害に対処できなかったのは仕方がない」「東電に責任はなく、あるとすれば、認可した政府にある」という趣旨の意見が掲載されていました。手紙の主は貞観地震にもふれていました。

 確かに災害に対する人間の科学的予見と対策には限度があります。しかし、500年に一度であろうが、千年に一度起きる災害であろうが、それによって放射能の汚染にさらされることがあきらかであるなら、私は原発に頼るべきではないと思います。数十キロにわたって、今後何十年も人間がすむことができない原発のもたらす放射能汚染の重大さはあってはならないものだと思うからです。まして、原発は利潤追求を求める人間が作ったもの、しかも、大地震と大津波は、国会でも日本共産党の吉井議員が追及し、専門科学者も警鐘を鳴らしていたのです。しかし、東電は、この災害の可能性に目をつぶり、手を打たなかった、コストをかけなかった、結局、科学的に予見できていたことも、利潤追求と引き換えにされたことは明らかです。

原発推進論者の与謝野馨大臣が、「責任論」を問われ、当時の最高の技術で対応したのだから責任はないと、反省する姿勢を示さなかったとの報道記事も目にしたように思います。民主党のある議員が、原発の視察を終えて感激し、原発の安全性を国民に知ってもらうために首都東京に原発を建設すべきだとブログに書き込んで、原発推進をアピールするなどしてきた政治の責任も重いものがあります。

文明に電気は必要です。しかし原発依存から、自然エネルギーへの転換が必要です。土地を追われ、海をでられない方々への原発事故の補償も必要です。これらの問題に対処するとき、「原発事故は人災」だという、共通認識が重要な出発点になるでしょう。

では。

 

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