「キモノ再考」・しんぶん赤旗に掲載

 このところの新聞は、当然のことですが「大震災・原発」記事に中心に編集されています。そんな記事の中で、しんぶん赤旗(日刊)10面の「くらし・家庭」欄に‘キモノ再考‘①昭和のくらし博物館館長 小泉和子さんの寄稿文を拝読して、ちょっとひと言、いいたくなって書いてみました。

 小泉さんによると、最近、若い人を中心にキモノが流行しているのだそうです。それも女性だけでなく男性もだそうで、およそ3種類に分類?され、ひとつは成人式や卒業式のキモノ(なぜか、小泉さんは着物と書かないようです。)そして、いまひとつは、レトロ調。大正時代から昭和戦前にかけての銘仙や紬などをレトロでおしゃれで着ているといいます。そして次は、パンクファッション系?で、Tシャツやジーパンの上に長じゅばんを羽織ったり、帯を締めずにベルトにしたり、キモノにブーツを履いたりといった、昔の人が見たらひっくり返りそうなき方をして、さっそうと歩いている。としています。

 ここまでは、僕も、なるほど~という感想なのですが、それに続いて、「時代錯誤」の小見出しで、キモノ否定してきた世代としては、少々複雑~はかま姿の女子大生を最初に見たときは「なんて時代錯誤なんだろう」と思ったと感想を述べ、キモノは衣服としては不適格で、身体を抑圧し身体の自由を奪うもので、非常に非機能的・不合理だと指摘し、末尾には、「たしかに女性のキモノ姿は女らしくて美しいかも知れませんが、それはよくよく考えてみると男性から見た美しさであり、キモノは男性が女性を自由にすることができる衣服だということなのです。」と締めくくられていました。

 確かに、どんなモノにも、歴史的背景が存在するとは思います。しかし、どこにでも民族衣装があるように、日本には「キモノ・着物」があり、日本の風土、文化に根ざして発展してきたものだと思います。「男性中心」の歴史や文化でいうなら、日本だけでなく、世界中でそのよう歴史があり、そこに営まれ・はぐくまれた経済・文化があるわけで、女性だけでなく男性の「キモノ・和服」も決して洋服に比べると機能的とはいえないと思います。着物が非機能的不合理なのに、女性にそれを押し付けてきたのは「男性が女性を自由にするため」という論理は、僕には、あまりにも飛躍しているように思えるのですが、どうでしょうか。まぁ、筆者も、キモノの流行について、肯定して書いていらっしゃるので、さほど、気にすることもありませんが、歴史や文化の受け止め方は、世代によって大分違うのだということを改めて感じているところです。

では。

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