阪神淡路大震災から19年~機関紙「徳島労連」から当時を振り返って

19年目を迎えた鎮魂の日、当時の「わたし」を徳島労連の機関紙から振り返ってみました。
1995年3月1日付けの機関紙(徳島労連)第30号
 復興にあたっては大企業・ゼネコン主導型ではなく住民生活優先の復興計画をたて、不要不急の大型公共事業を見直し復興に充てるよう政府・関係機関に働きかけるよう徳島県下「全自治体」に国民春闘キャラバンを実施、阪神大震災にともなう要求をまとめて提出していました。
 また、被災者への救援カンパ「一日分の賃金を拠出」と全組合員へ呼びかけています。 
 当時、結成5年目の徳島県労働組合総連合(徳島労連)の議長だったわたし、徳島から宣伝カーで淡路島へ飲料水を運んで届けたり、永田町の被災地に民医連の仲間と炊き出しなどに参加したことを思い出しました。
 では。

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