8月21日川内町の高橋博さん(82歳)宅に伺いました。高橋さんから「これあげる」と頂いた本が、徳島県原爆被爆者の会・編「生と死」ヒロシマ・ナガサキからという本です。発刊は、1982年8月1日今からちょうど40年前、徳島県原爆被爆者の会結成15周年に発刊されたものです。目次をみますと、三木申三、山本潤造、谷口修、杉田治郎、神野美昭の各氏が祝辞を寄せられ懐かしいお名前を発見するとともに、原水爆禁止運動が保守革新の別なく国民的運動としての広がりをもつものであることをあらためて実感させられます。
そして、何よりもこの本の価値は、134名の手記です。お一人原稿用紙約2枚、なんとも表現の仕様の無い被爆体験が綴られているのです。手記の中身は紙面的にふれられないので、手記の「見出し」のいくつかをお示しします。
「この世の地獄」「家の下敷きになった姉」「どす黒い血が」「伯父一家の安否をたずねて」「性別もわからない」「死体を焼く」「広島第一陸軍病院で被爆」「モンペをはいて寝る新婚夫婦」「生後3ヶ月の子を抱えて」「ビンタをとられた」「死体がごろごろ」などなどです。134名もの被爆体験がこれほどまとまっている本もそう多くは無いのではないでしょうか。
この本の発刊は昭和で言うと昭和57年、私が健康生協に入職したのが昭和47年ですから入職後10年目に刊行されているのですが、当時私は全く発刊に気づきませんでした。この本の印刷部数は分かりませんが、特に今、若い世代に核兵器廃絶を語り継ぐ貴重な資料として、活用したいと思います。高橋さん、貴重なご本ありがとうございました。