ある政策の資料集めで20年以上前の調べものをしていたら、徳島労連機関紙「縮刷版」に僕が書いたコラム(清流)に出会いました。
清流(徳島労連53号)1997年8月16日付
私は猫嫌いである。
猫ほど横柄な生き物はいない。
第一飼われていることをへとも思っていない。
それどころか
ご主人様をアゴで使う。
エサといっては「ミャ~オ」、鰹ぶしをかけろと「ミャ~オ」
水は洗面台の上で「ミャ~オ」と、蛇口をひねって水を出せという。
家を出るのも入るのも彼女の「猫撫で声」で意のままである。
猫ぎらいの私がなぜ彼女の言いなりにならなければならないのか。
それは徳島労連に責任の一端がある。
徳島労連事務所前に捨てられていたのがこいつなのだ。
ほっとけば車にひかれそうだし、外から弱弱しく
ひっきりなしに鳴く声に
負けて連れて帰ったのが運の尽きである。
憮然とする私を尻目に「あんたが拾ってきたんでしょ」と今日もすり寄って来る。
「気まぐれの猫になりたい日曜日」 M
追伸.猫の名は「ころちゃん」雌猫です。拾ってから13年間一緒にくらしました。ある雨の日、車で引かれて入院、退院後4~5日で自宅で永眠。1990年の徳島労連結成から19年間続けた議長職、思い返せば機関紙・徳島労連にも多くの記事を書きました。いつか資料整理がしたいものですね。