「大栗清實顕彰碑」2016碑前祭~4月2日、約40人余が出席。阿南診療所敷地にて

碑前祭の「しおり」より~
 1929年3月5日、労働者農民党の山本宣治代議士が右翼によって暗殺されます。葬儀の席上「山宣記念病院」づくりの話が出され、設立基金募集委員会発足に向けて「労働者農民の病院を作れ!」のアピールを起草しました。このアピールは、全日本無産者芸術団体の機関紙「戦旗」4月号(1929年)に掲載されました。こうした礎がさらに発展し、全日本民主医療機関連合会設立に大きく寄与しました。1930年1月には、東京・五反田で日本初の労働者・農民のための「大崎無産者診療所」を開設しました。
 (大栗清實氏は、アピールの起草者で大崎無産者診療所初代所長です。)

カテゴリー: 見た・聞いた パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です