3月23日、アスティー徳島を会場に治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟徳島県支部主催の「3・15のつどい」が開かれました。
「3・15」とは文字どおり3月15日を指していますが、この日に何があったのか、戦後67年経つわけですから、少しさかのぼって、3月15日の事件をまず「チェック」しておきましょう。
『三・一五事件(さん・いちごじけん)は、1928年3月15日に発生した、社会主義者、共産主義者への日本政府による弾圧事件』のことをいいます。この日、治安維持法によって1600人以上が検挙され、作家・小林多喜二が虐殺されたことでもよく知られています。
今日の3・15の集いでは、治安維持法と小松益喜(1904年高知市生まれ)・登喜(1905年高知県旭日村生まれ)の二人について、治安維持法と戦前の軍国日本社会の中で、共産党員として、どのように生き、闘ったのか、ふたりが残した「言葉と遺品」そして子供なりに体験した息子さんから貴重なお話を伺うことができました。
当時まだ30歳になったばかりのふたりが検挙され獄中で受ける拷問の実態、その中で、しっかりと社会を見据えていたことを証す、牢獄のちり紙と隠し持っていた赤鉛筆で書いた「短歌」.また、小松益喜は、画家としてさまざまな文化人との交流が有り、「赤旗」(せっき)編集にも関わっていたことなど、おそらく、私の目には二度と目に入ることのない、セッキ(赤旗)の初版の縮刷版まで目にすることができ、歴史の一コマを目の当たりにするような「3・15」となりました。
この日、もう一つ、徳島が生んだ偉人と言ってもいいでしょう。
1930年(昭和5年)1月26日、我が国で初めて、労働者・農民の手になる無産者診療所が東京・大崎に誕生し、初代所長となった大栗清実先生の顕彰碑設立の呼びかけが行われました。
今日の会場には、会場いっぱいの80人余が参加しました。
では。