5月3日~「憲法」三昧の一日です

 5月3日は日本国憲法施行65周年。10時半から徳島駅前では「憲法街角トーク」が12時半まで、午後1時からは、憲法記念講演会が県郷土文化会館5階小ホールで開催されました。

 憲法街角トーク(徳島憲法懇)

街角トークでは、9条の会徳島、平和人権センター、徳島憲法懇、反核憲法フォーラムの4団体が、それぞれ30分づつ分担しリレートークを行いました。私は、憲法懇として午前11時半からトークの司会を務めました。憲法懇からは代表委員の林弁護士が代表として訴えましたが、トークの中で、新たな課題として、仙谷氏を中心に政府の有識者懇談会が秘密保全法を準備していることについて厳しく批判。絶対に許してはならないと訴えました。また、日本共産党徳島一区比例候補でもある古田元則氏、憲法を学ぶ女性の会の小川洋子の各氏が訴えました。

250人満席の「憲法講演会」

 戸村恵里さんの津軽三味線と湯浅良幸氏の「かけがえのない命・平和」と題した記念講演と吉成新事務局長との対談は満席。午後4時まで「憲法三昧」の有意義な一日となりました。

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今朝の~TV6チャン「そもそも総研」みました?

 そもそも総研のテーマは、「関電の原発再稼働がしたい本当の理由」でした。

 そもそも総研は、円の図表を示し、関電はこの夏16.3%足りないっていうけど? 、東京並みの節電で供給力もUP!他社からもっと買えば、『電力は足りる』と結論づけました。

コメンテーターは、関電が、大飯原発再稼働の説明時に、「電力が足らないから」とは今まで一言も言っていない、とした上で、原発がなくなれば、関西電力の純資産の約半分を占める「原発関連資産」8907億円はゼロとなり、このままの状況が続くと債務超過となるからでは、と分析。 そもそも総研も、関電の原発再稼働は、会社の存続のため!と指摘しました。

 なぜ?そんなに再稼働したいの?

 民主党の仙谷氏が再稼働できないと「集団自殺」との発言について、なぜ、そんなに再稼働したいの?、と問いかけ、自民党の河野太郎氏は、電力会社、原発開発企業や御用学者、政治献金をもらう自民・民主党議員、電力産業の労組など、いわゆる原子力村の人々が、この夏原発なしで乗り切ると、原発なしが定着することを恐れていると指摘しました。

 仙谷氏のいう「集団自殺」とは、再稼働できなければ、困る「原子力村の村民」のことかも?、とキャスターから皮肉られていました。仙谷氏も原子力村の村民というわけですね。

 なかなかテレビもやるもんですね。

では。

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樋口陽一氏(憲法学者)へのインタビュー~『国民が権力を縛る明治からつながる日本の「持ち物」』

 今朝(5/2)の朝日新聞11面に樋口氏へのインタビュー「戦時世代が語る憲法といま」が掲載されています。インタビーの表題は『国民が権力を縛る明治からつながる日本の「持ち物」』です。全体で3500字余りの記事ですが、その一部をご紹介します。

 公正な社会をつくろう~日本国憲法はその一つとして生まれた。

公正な社会をつくろうというのは、第2次世界大戦後、日本も含め、戦勝国にも敗戦国にも共通した流れでした。日本国憲法はその一つとして生まれました。この憲法のもとで私たちは、外国から「日本ほど平等な社会はない」とまで評価された社会をつくってきました。それがどこでどう変わってしまったのか。

 戦前からの自由民権運動・大正デモクラシーとつながる日本国憲法(押しつけとは違う)

 戦前の日本のすべてが真っ暗な時代だったというわけではありません。誰でも知っている明治自体の自由民権運動があり、これも誰でも知っている大正デモクラシーがあり、マルクス・エンゲルス全集が世界で一番売れた時代でもありました。日本国憲法を「この国に合わない」「押しつけだ」と非難する人たがいますが、それは違う。この憲法の価値観は、幕末以来の日本の近代と無縁ではありません。先ほどあげた自由民権運動や大正デモクラシーといった、幕末・明治以来の日本社会の「持ち物」とつながっています。むしろ35年~45年の国粋主義、全体主義の時期こそ、幕末からの流れと異なるものだった。ポツダム宣言は軍国主義に染まる前の日本の民主主義を「復活強化」せよといい、日本政府はそれに調印したわけです。

 近代国家の憲法とは、国民が権力を縛るもの

 民主主義という制度は、選挙という民主的な手続きによって、独裁者を生んでしまう恐れがあります。民主的に生まれた権力であっても、国民が作る憲法によって制限する。それが憲法の役割です。政治家の側が、選挙で多数を得たのだから白紙委任で勝手なことをしていい、などということではありません。近代国家における憲法とは、国民が権力の側を縛るものです。権力の側が国民に行動や価値観を指示するものではありません。数年前に与野党の政治家が盛んに言っていた、憲法で国民に生き方を教えるとか、憲法にもっと国民の義務を書き込むべきだ、などというのはお門違いです。

 「決められない政治」へのいらだちと憲法

 停滞する政治や社会を、憲法を改正することで変えよう、という声が聞こえてきます。しかし、たとえば衆参両院の議論がまとまらないのは、憲法が定める二院制がわるいからでしょうか。決められない首相は、公選制になったら正しく決断できるようになるでしょうか。憲法に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」があるのだから、脱原発で電力が十分供給されないのはけしからん、とでも言うのでしょうか。あの小泉純一郎首相でさえ、イラクへの自衛隊派遣の際「参戦」とは言えなかった。本当に9条は空洞化したのでしょうか。

 大きな物差しで将来を考えよう

 世界には、日本国憲法よりはるかに古い憲法を今も使っている国があります。アメリカでは「建国の父」たちの権威は絶対で、1788年に成立した合衆国憲法、あるいは1776年の独立宣言が現役です。フランスでは1789年の人権宣言が現行法なのです。彼らはこうしたものを度外視して憲法草案を作るという発想はありません。「決められない政治」にいらだつあまり、大きな物差しでこの社会の将来を考えることを忘れないでください。

以上、「インタビュー」から抜粋してのご紹介でした。

 明日は、憲法9条の会徳島主催で、記念講演会(午後1時半~あわぎんホール)・街角トーク(10時半~徳島駅前)など、多彩な催しを準備しています。では。

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第83回メーデー徳島県中央集会に参加して

5月1日といえばメーデーですね。今年も徳島中央公園(鷲の門ひろば)で第83回メーデーが開かれ、43団体281人が参加しました。

今年のメーデー宣言は、冒頭こう述べています。

 国民生活の危機、日本の危機が進行し、歴史的な転換の時期にある今こそメーデーの原点に立ち返り、すべての働く者が連帯と共同の力を発揮した闘いで、くらしと雇用・仕事が安定した憲法が生きる社会を目指すことを確認しました。消費税増税、TPP参加を推し進めようとする野田政権の悪政との当面の闘いや3・11東日本大震災からの早期復興と原発ゼロにむけた取り組みに力を寄せ合い、要求実現をめざす決意を固めあいました。

 闘いの報告では、自治労連小松島バス労組の勝利和解報告。健保鳴門病院支部からは、「徳島県が病院を買い取ったが、県の説明は病院・職員の処遇について、公務員でもなく、県立でもないというだけで職員の賃金・労働条件は全く不明。県北の公的な医療機関として存続するよう闘う」との決意表明。光洋シーリングテクノ関連支部からは、非正規から正社員への雇用を求め大きな成果を上げていること。また、労組から会社に品質改善の問題提起をし会社も労組の意見を取り入れ始めている。などの報告がなされました。

 第83回メーデー万歳 働く者の団結万歳。

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第20回放美展 入選しました。

 第18回の放美展に初出品、初入選。その後、いっせい地方選挙で市議会に出馬することになり、19回は残念ながら出品を見送りましたが、第20回放美展に選挙前に描いた作品(剣山・雑木林)を出品しました。昨日公開審査があり二度目の「入選」を得ることができました。

写真は、公開審査の模様です。

5月2日から6日まで、あわぎんホール(県郷土文化会館)で展示されることとなります。

 6月には、徳島平和美術展(6/21~24・あわぎんホール)も開催されますが、気持ちが中々「絵」に集中しないという難問を抱えていて、新しい作品に「苦慮」しています。まぁ、これからも人間の幅をできるだけ広げつつ頑張ります。せっかくの人生ですから~。では。

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